株式会社プラスワン医療・福祉介護関係の支援ソフトを開発・販売

株式会社プラスワンが誕生した経緯 代表取締役・遠崎秀一より

今から約10年前の1998年まで、私は広島の『Apple Computer専門店』で企画やパソコンのメンテナンスからパソコンスクールの運営、ソフト開発・販売のほか仕入れ業者の選定など多岐にわたる業務の責任者として働いていました。仕事は非常に忙しく、業務は深夜に及ぶ事も度々ありましたが、毎日大変な中にもやり甲斐や楽しさを感じながら過ごしていました。
  ところが、会社の今後の経営方針と私の考え方に少しずつズレが生じる出来事があったのです。それは、2000年4月から日本で導入されることになった「介護保険制度」でした。

「全く新しい制度なので、きちんと取り組めば競合他社とも勝負できるし、やり方やノウハウによっては勝ち組になるチャンスがある」と信じていた私は、会社に対し介護保険制度関連の事業に取り組む必要性を説きました。今後、日本が直面する高齢化社会の問題や日本経済の見通しなど様々な角度から提案して、幾日も議論を交わしたのですが、結局私の意見は受け入れられませんでした。会社は、介護保険制度への参入事業には取り組まない方針を打ち出し、別の事業を行うことにしたのです。
  その事業には、既に大手が参入しているうえに業歴も長い。必要な人材の育成や知識習得など会社の体制を整えるのが先決で、今から参入して業績を上げるには膨大な時間とコストが掛かり過ぎる―と私は感じていました。「介護保険制度への事業参入の方が、人材やベースになるものがあるのに…」気持ちにポッカリと穴が空いたまま、ずるずると仕事をするには気が重く「この辺で一度、人生を見直した方が良いのかな」と考え始め、以前から海外に行って勉強したい―という思いもあったので、退職することを決心したのです。

「退職したら、少し休息して海外に行く準備をしないといけないな〜」と、まだ見ぬ世界に思いを巡らせていましたが、どの国へ行くかさえも決めていない全く漠然とした状況でした。担当業務やお客様のフォロー、後継の人材育成などを早々に片付けて、早く自分の夢に向かって旅立ちたい―とばかり考えていた矢先、思いもよらぬことが起きたのです。退職と引き継ぎの挨拶のためにお客さまを訪問した先で、毎日毎日お叱りを受けました。退職を決めたときから覚悟はしていたけれど、それは厳しく、ありがたい言葉でした。
  「何で辞めるの?」
  「辞めてどこに行くの?」
  「辞めて何するの?」
  「うちの会社をどうしてくれるんだ!」
  「私達を放りだして逃げるのか!?」
  「買ったのはお宅の会社からだけど、あなたを信用して買ったのに」
  「辞めても私達の面倒をみて」
  本当にいろいろな言葉を聞きました。冗談まじりに言われる人もいれば、笑顔で脅す人、真剣に諭される人もいらっしゃいました。
  ありがたいことです。「こんな私でも必要としてくれていたんだな。お役に立てていたんだな」と実感しました。同時に「大変だったけど、一生懸命やってきて良かった」としみじみ思えたのでした。しかし、毎日いろいろな言葉を頂いている中で、自分の心の奥底に少しずつ迷いが生じているのを感じるようになったのです。

そしてある日、私の人生を変えるきっかけとなる言葉を頂いたのでした。
  「私は、あなたが作るシステムを買うから良い物を作って。それまでよそからは買わずに待ち続けるから」
  「冗談言わないで下さいよ。システムを作る前に会社を作らないといけないし、そんなお金ないですよ」
  「出来るよ。あなたなら出来るから頑張ってみなさい。海外へ行くのは、会社を作ってからでも遅くはないでしょう」
  私は単純な人間かもしれないけど、本当に本当に嬉しかった。こんな自分にここまで言ってもらえるなんて。その帰り道、溢れる涙は止まることがありませんでした。
  その後、不思議なことに私の周辺からも起業を期待し促すような話がどんどん出てきます。友人、取引先、お客様…そして叔母からはこんな話を聞かされました。
  「憶えていないかもしれないけれど、あなたは子供の頃『僕が大きくなったら会社の社長になって、みんな楽しい生活が出来るようにするから!』ってよく言っていたのよ。もしかしたらその時期が来たのではないの?」
  早くして親を亡くし複雑な家庭環境で育った私が、貧しい生活の中で口にしていた言葉をおぼろげながら思い出しました。負けず嫌いな私のことです。まだ世の中のこともわからないような子供でしたが「いつか変わりたい、変えてやる」という思いがあったのでしょう。

私の気持ちは決まりました。
  一度きりの人生だ、やれるだけやってみよう!
  しかし、やるからには絶対に成果は出す!
  自分がどこまでできるか!?…挑戦の日々の始まりです。
  まずはどうやってお金を作るのか―が問題でしたが、前向きな気持ちを持って行動を起すと、親戚が協力してくれたり取引先の社長が賛同してくれたりしました。資金の目処も立ち、1998年12月11日、有限会社プラスワンの誕生です。
  「暖かく私を育ててくれたお客様へ今度はお返しをする番だ!」
  「お客様の役に立つこと1つでもいいから提案しよう、喜んで頂けることを1つでも多く提供しよう、困ったことを1つでも解決するお手伝いをしよう」…目指すのは、お客さまのために何か1つプラスになる事を提供する、あるいは生み出すことの出来る会社=『プラスワン』=です。

起業後、さっそく介護保険制度への事業参入を目指して情報収集を始め、システム構想を何度も何度も練り直し、お客様の声を集め、当社ならではの独自性を打ち出した商品が完成しました。そして営業に走り回りました。文字通り東奔西走の毎日です。しかし、どんなに一生懸命説明しても生まれたての小さな会社なので、最初はなかなか認めてもらえません。「どこの会社?」、「何人でやっているの?」、「潰れない?」…肝心な商品の説明をするまでに、なんでこんなにいろいろな事を話さなければならないんだ!?
  とりあえず商品を見てもらえるまでの段階が大変でした。
  小さな会社ですが、個人が起業して一からやっていくための大きな壁をひしひしと感じました。あの手この手のアプローチ方法を考えて資料を作りますが、なかなか自分が思うようにはなりません。何も手応えを得られないまま、いたずらに時間は過ぎ、資金もどんどん減っていきます。当時たった一人のスタッフでしたが、何とか給与を支払わねばならない、という思いでとにかく必死でした。もちろん毎日昼夜休みなく働き、何度となくお客様の元に足を運びました。現場で起きている状況を聞き、それをシステムへ反映させていくうちに、少しずつ商品を見ていただけるようにはなりました。でもまだ業歴が浅く実績のない会社への注文には至りません。そしてついに、精神的にも資金的にもどん底になってしまいました。

そこへあるお客様から1本の電話が入りました。
  「システム全般を検討しているので一度、商品を見せてもらえないか」
  やった!ようやくじっくり見ていただける機会をもらえた!
  はやる気持ちを抑え、資料を整理して何度もロールプレイングを繰り返し、万全の準備をしてデモに向かったのです。
  ようやくじっくりと見ていただき、商品も気に入ってもらえました。しかし、いざ契約となると全く実績のない会社なので「どこか表立てになってくれる会社はないか」と言われます。社歴が浅いのと実績がなかったのは認めざるをえず、本当は悔しくて悔しくて仕方ありませんでしたが、大手企業に商材の大半を渡してソフト部分だけを当社が受け持ち、商談も当社が責任を持って進める―という条件を整えました。それから再度、お客様に何度も何度もアプローチし続け、ようやく受注を頂きました。

最初の受注が決まった時の喜びは、昨日のことのように覚えています。本当に必死だったので、帰りの車の中で何度もガッツポーズをし、大声で「ヤッターーー!!!」と叫びました。と同時に「これで安心して社員に給与が出せる」とホッとしたものです。ここからクチコミで評判が広がり、事業は軌道に乗っていきました。
  もちろんあの日、私の人生を変えるきっかけとなる言葉を頂戴したお客様には後日、喜んでいただけるシステムを作ってお持ちしました。そして現在でも良い関係で応援してくだり、大変感謝しています。
  その後、取引していただけるお客さまも増え、たくさんの商品を提供できるようになりましたが、今でも現場のお客様の声をシステムに最大限反映させる―という企業姿勢を貫きながら、より良いシステム作りを目指して日々努力を積み重ねています。
  平成11年に初の出先拠点として東京営業所を設置し、平成12年には『株式会社プラスワン』へ組織変更しました。新しい事業の展開も図りつつ、「お客さまのために何か1つプラスになる事を提供しよう、生み出そう」というプラスワンの企業理念を理解し、日々頑張っている優秀な社員とともに、僅かずつではありますが『プラスワン』は成長しています。

是非一度、当社のシステムを見てください。
  プラスワンならきっと喜んでいただける提案、プラスになる提案ができます。
  そして、末永くお付き合いしてもらえるチャンスを頂ければ幸いです。

株式会社 プラスワン
代表取締役 遠崎 秀一

前のページに戻る